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スーパースター (1970年)

70s

アディダスの数ある名作のうち”スタンスミス”に引くも劣らない存在なのがこの”スーパースター”である。 ラッパーの”RUN DMC”といった時代のスターたちの中にもこのスニーカーのファンは数多くおり、世代を問わず愛されているスニーカーである。

 名作”スーパースター”が世に出たのは ”1970年” 、アディダス初のオールレザーのバスケットボールシューズとしてデビューしたのが始まりだった。


 スーパースターを愛した有名人の一人に、NBA史上1位の通算得点数で、MVPにも6回選ばれるなど輝かしい功績を持っている”カリーム・アドゥブール・ジャンパー”がいる。 彼がこのスニーカーを愛用したこともあり、当時コンバース一強だったアメリカのバスケットボールシューズ市場にアディダス旋風が巻き起こることとなる。スーパースターを着用した多くのプレイヤーは口々に「靴に足がプリントされる」と言い残しており、ジャンパーもそう言ったプレイヤーの一人である。 彼はその後、自身のシグネイチャーモデルをいくつか出しているが、そのどれもがスーパースターをベースとして作られている。

 それまでのバスケットボールシューズとは比べると、スーパースターはゴツゴツとした印象で、それまでの常識とはかけ離れていたが、いくつかの新しい機能を備えていた。 その中で、わかりやすいのが”ラバーキャップ”というトップ部分にあるスーパースターの特徴的な部分である。これは初期モデルにはついておらず、プレイヤーたちからのアドバイスによって追加された機能で、貝殻をモチーフにしていることから、”シェルトップ”や”シェルヘッド”と言われており、これがあることによって耐久性とジャンプ後の安定性を向上させる世界で初めての試みであった。70年代のNBAプレイヤーの70〜80%の選手がアディダスのシューズを着用していたということからもその機能の良さが伺える。


 バスケットボール界にスーパースターが広まっていくのと同時期に、ヒップホップ界にもスーパースターは知られることになり、ヒップホップの中心地にいたニューヨークのラッパーたちがスーパースターを履き始めることとなる。その中でも特にブームを牽引したのが”RUN DMC”である。 アディダスの3本ラインのジャージを着用し、シューレースを外しタン部分を外に出したスーパースターを履く彼らのスタイルはニューヨークで脚光を浴び、若者たちがこぞって真似をするほどであった。 1986年には、RUN DMCの大ヒット曲”My Adidas” を発表、これによりスポーツ選手以外で初めてアディダスと契約することとなる。


機能の面だけでは無く、”ヘリンボーンソール(開きにした魚の骨に似ている模様)”や”金ベロ”と言われている金色のラベルなどの、細かいディティールはスニーカーヘッズたちを虜にしたポイントでもある。

 1980年代後半になると、新モデルの登場により一旦は生産終了となったが、スーパースターを愛する多くの人たちの要望により再び復活することとなる。1990年代になると、スケートボード界でも支持されるようになり、”マーク・ゴンザレス”をはじめ多くの有名スケーターにも愛される存在となる。


アディダスの始まり

アディダスの始まり

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