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スタンスミス (1971年)

70s

世界で最も売れているスニーカーとしてよく知られている”スタンスミス”であるが、このスニーカーのことを知るにはまずスニーカーの名前にもなっているスタンスミスという人物と、スニーカー・スタンスミスの前身モデルである”ハイレット”という名のスニーカーについて知る必要がある。


アディダス・ハイレットが発売されたのはスタンスミスが誕生する前の”1965年”、フランス出身のプロテニスプレイヤー ”ロバート・ハイレット氏”との共同開発によって誕生したスニーカーで、そのデザインはアディダスらしくシンプルなもので、白いレザーアッパーに白いソールと白いタン、そしてヒール部分とタンのプリントだけが緑色、3本ラインも連続穴を開けただけのパンチング仕様、シンプルで洗練されたスニーカーであった。その頃のアディダスはこのハイレットを自社のトップモデルとして前面に押し出していた。

 

ハイレットはその見た目もさることながら、コート上でのパフォーマンスもよく、発売と同時に多くのプロテニスプレイヤーが好んで着用していた。 当時アディダス社は、テニスのアメリカチームにシューズを提供しており、そのテニスアメリカチームにいたのが後に自分の名前を模したスニーカーが世に出ることとなる、スタンスミス氏である。

 スタンスミス氏は1972年に、テニスの4大大会の一つであるウィンブルドンで初優勝を飾る、その時に着用していたのがこのハイレットである。 翌年の1973年にはスタンスミス氏とアディダスはスポンサー契約を結ぶ。 アディダス社は当時、アメリカでのビジネス展開も視野に入れていたということもありハイレットの新しい広告塔として、当時世界No. 1テニスプレイヤーでありアメリカ人のスタンスミス氏を起用することを決めた。


 スタンスミス氏とスポンサー契約した後に発売されたハイレットには、”STAN SMITH” の文字が追加されておりスタンスミス氏への期待が伺え、アディダスの広告には”ハイレット・スミス”や”スタンスミス・ハイレット”と紹介されており、ハイレットとスタンスミスの二人の名前で売っていた時代が1977年ごろまで続いていくこととなる。

 1978年になるとそれまでは刻印されていた ”HAILELET(ハイレット)”の文字は消え、その代わりに ”STAN SMITH”の文字だけになっている。 その頃にはモデル名も ”ハイレットスミス”から”スタンスミス”へと変わっている。 さらに1979年にはロゴも似顔絵もレイアウトも一層し、現在のものと同じ仕様になった。


スタンスミス氏自身、テニスの功績はすさましく、4大大会は全て制している。そしてシングルスで”39勝” 、ダブルスで”61勝” 通算で”100勝”を記録し、現役当時アメリカでは国民的英雄として知られていた。1987年には国際テニス殿堂入りも果たしており、引退してからもその影響力は衰えることを知らず、名コーチとして数多くの優れたテニスプレイヤーを育てたことでも有名である。

スニーカースタンスミスの勢いもすごく、1991年の段階で販売数が2200万足を記録し、”世界で一番売れているスニーカー”としてギネスブックにも掲載されており、テニスプレイヤー・スタンスミス氏の功績に負けない功績を残している。

 前身モデルのハイレットからプリントのデザインなどは少し変わった箇所はあるものの、その洗練されたシルエットは1965年にハイレットとして発売された当時から現在に至るまで、古さを全く感じさせることなく、その存在は当時と変わらないままである。



アディダスの始まり

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