カルト的な人気があるスニーカーはいくつもある。その中でも群を抜いて人気があり、今でこそ当たり前となっている”プレミア”という概念自体をスニーカーカルチャーに初めて定着させたのがエアジョーダンである。
エアジョーダンが世に初めて登場したのは”1985年” で、マイケルジョーダンと共にNBAにデビューした。 マイケルジョーダンは滞空時間の長いジャンプから繰り出されるダンクシュートや、見るものをワクワクさせるエキサイティングなプレーで”AIR” や ”神様” など、彼への最大の敬意を込めたニックネームがあり、シカゴブルズ時代にはNBA史上初の2度の3連覇を達成している。 偉大な功績はそれだけにとどまらず、得点王には10回、MVPには5回など、アメリカ代表チームではオリンピックで二度金メダルを獲得するなど数々の偉大な功績を成し遂げたNBAプレイヤーである。
そんなバスケの神のシグネイチャーモデルはNIKEから発売され、”エアジョーダンシリーズ”として、鮮烈なアッパーカッティングと、それを最大限に活かすカラーリングで注目を集めた。中でもファーストモデルの赤黒のエアジョーダンは彼のファンだけでなくスニーカーヘッズたちにも大きな影響を与えた1足である。
当時のNBAでは白以外のシューズは認められていない時代だったこともあり、ファーストモデルのこのカラーは、あまりにも派手なものだとクレームがつき使用禁止になった。 それに対してジョーダンとナイキはCMで「10月15日、ナイキは革新的なバスケットボールシューズを作った。10月18日、NBAはそのシューズをコートから追放した。君たちは幸運だ、NBAからこのシューズを取り上げられることがないからだ」とコメントし、それだけでなくナイキとジョーダンは使用禁止になってもなお、毎試合$5000(¥40万)という罰金を払い続けながら、NBAの規則を無視して赤黒のスニーカーを履き続けた。
ナイキはNBAの規則を逆手にとったこの大きな宣伝効果を利用し、ジョーダンのルーキー時代の罰金を全て支払った。ジョーダンが履いていた赤黒の組み合わせのスニーカーは、英語で”禁じられた”という意味の”BANNED”というニックネームがついたほどで、規則違反にもかかわらず、そのシューズを履き続けたジョーダンの反骨精神に、アメリカ中の若者たちが魅了された。
その当時流れていたCM⬇︎
この度肝を抜く反骨精神があらわになったプロモーションやマイケルジョーダンのそのプレースタイルもあり、エアジョーダンは今までにない斬新さでバスケットボールのコートを超えた存在となっていく。 中でも当時、特にジョーダンの反骨精神に共感した人たちにはミュージシャンやダンサー、スケーターなど既存の型にはまることを嫌った人たちが多くいた。