ナイキから”70年代”に発売されたスニーカーの中でも代表格的存在であり、普通の人なら考え付かないであろう何気ない一つのアイデアから生まれたこのスニーカーは当時大ヒットを記録し、ナイキが誇る名作の一つである。
ワッフルトレーナーという名前からもわかる通り、このスニーカーの最大の特徴は、海外の朝食では一般的な”ワッフル”の模様をそのまんま落とし込んだアウトソールで、このワッフルパターンが生まれたきっかけというのが、ナイキ創業者の”ビル・バウワーマン”が 朝食に出されたワッフルをヒントにアウトソールを作ってみてはどうか、という何気ない小さなアイデアから始まったとされている。
ワッフルトレーナーはとても軽く、履き心地の良さに定評のあるスニーカで、このスニーカーが発売された当時のアメリカは”ジョギング”がブームになっており、その真っ只中の”1974年”に発売され世間の大きなジョギングブームの時期と重なったこととその履き心地の良さが相まり、大ヒットを記録することとなった。
アッパー自体は”ナイロン”で、爪先部分とヒール部分、シューレース周りには補強として”スエードが使用され、スウォッシュとアッパーが見事にマッチしたカラーリング(色合い)も当時の他のスニーカーとは一味違う良さがあり人気が出る理由も納得である。
当時の広告に、「アッパーはオーボリと共通なので快適」と書かれている通り、アッパーはオニツカタイガーの”オーボリ”をベースとして作られている。このことから、*元々ナイキがオニツカタイガーの代理店だったことをよく現している。
<詳しくはこちらをチェック>
![](https://sneaker-library.com/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ミッドソールのベースとなったのは、ナイキブランド初のスニーカーである”コルテッツ(1972年)”で、アウトソールにはワッフルソールが使われており、70年代ナイキのハイテク技術を結集したものだった。このことからナイキが、このスニーカーに込めた期待値も相当だったことがうかがえる。
発売された当時のカラーリングはレッド&ホワイトと、ネイビー&ホワイトの2色で発売され、初期のボックスには”WAFFLE TRAINING(ワッフルトレーニング)” と表記されていた。しかし世間では、ボックスに書いてあるワッフルトレーニングではなく、ワッフルトレーナーと呼ぶことが一般的だった。
クラシックナイキにも詳しいコアなスニーカーヘッズは、この”初期箱のこと”を”初期タイプ”と呼んでいる。
初登場の翌年には、アップデートされたものが発売され、ボックスの表記もワッフルトレーナーに変わっている。その後は、このスニーカー随一の人気カラーであるUCLAカラー(ブルー・イエロー)が発売されるなど、その人気は衰えることないナイキの看板商品となった。ワッフルトレーナーの驚異的なヒットによって今でも続いている”ランニングシューズ=ナイキ”というイメージが定着していくこととなる。
![](https://sneaker-library.com/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)