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コルテッツ (1972年)

70s

ナイキが作った初めてのスニーカである”コルテッツ”。 このスニーカーにはビル・バウワーマンとフィリップ・ナイトの二人によってナイキブランドが創業された時から、現在に至るまで何十年間も愛され続けている超ロングセラー商品である。 その名前は、その昔メキシコのアステカ文明を滅ぼした ”コルテス” という将軍に由来している。これはスポーツブランドとしてライバル会社のアディダスの名作スニーカー ”アステカ” に対抗するために命名された。 しかしナイキが初めて世に送り出したスニーカーとして現在のような不動の地位を築くまでにコルテッツが辿ってきた道のりには、日本のある有名スポーツブランドが深く関係している。


 ナイキ初の自社商品であるコルテッツにはコルテッツと言われるまでのプロトタイプが存在している。 そのプロトタイプと大きく関係しているのが、日本のスポーツメーカーの ”オニツカタイガー”(アシックス)である。 ナイキの前身である”ブルーリボンスポーツ(BRS)” は創業当初、アメリカでのオニツカタイガーの輸入販売の代理店をしていたことは有名な話で、初めは一般的な代理店とメーカーの関係だったが、次第にその枠組みを超えBRS社がアメリカ人の感性にヒットするような機能やデザインのアイデアをオニツカ社に提供するようになっていく。その時に提供していたアイデアを生かして作られたのが”オニツカコルテッツ”だった。 次の目標を自社製品の製造販売としていたBRS社はオニツカ社との契約を解消し、1972年には、ナイキの象徴である”スウォッシュ”の入った自社製品のコルテッツを発売する。

  


 しかしコルテッツは、BRS社時代にオニツカ製品の ”タイガーコルテッツ” として発売され、既に大ヒット商品として存在していたが、ナイキとしてはコルテッツというのはBRS社時代に自分たちのアイデアで製品化できたものだという自負があったので、この製品を自社の看板製品として売り出していき、結果的にその時期には ”オニツカコルテッツ” と、”ナイキコルテッツ”の2種類が存在していた。

 後にナイキとオニツカの両者はコルテッツの所有権をめぐって争うこととなり、結果はオニツカ側が折れる形で和解に応じ、多額の和解金を払うこととなり、それからのナイキはコルテッツを自社の看板製品として大々的にアピールし、逆にオニツカは”コルテッツ”という名前から”コルセア”へと改名せざるをえなくなった。

映画「フォレスト・ガンプ」(1994年)にも登場したコルテッツ


 1972年に発売された初期ナイキコルテッツには、現行のものと違いシューレース周りのギザギザの部分は無く、つま先部分には補強ガードがついていた。 後には、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)といった大学のスクールカラーも登場し、その人気は不動のものとなり、少しずつディテールに変更を加えられながら、1972年から現在に至るまで長く愛され続けているナイキのロングセラー商品となった。



https://sneaker-library.com/nike/

ナイキの始まり

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