アディダスを創業したアドルフダスラーの兄、ルドルフダスラーが1948年に”RUDA”をドイツのニュルンベルクで創業、川を挟んだ対岸にはルドルフダスラーの弟、アドルフダスラーが作ったアディダスがあった。 翌年の1949年、RUDAよりもより軽快な印象の方が良いだろうという理由で会社名をRUDAから現在の”PUMA”へと変更した。
1958年には ”プーマライン”と呼ばれている、シューズの補強のためにアッパーサイドにカーブライン描いた、プーマといえばおなじみのデザインをシューズに初めて採用した。また1960年には、世界で初めてソールとアッパーをゴムの硬化を利用して圧着する技法 ”ヴァルカナイズ製法” を用いてスニーカーの製造を行い、1968年には”ベルクロ”(マジックテープ)を採用するなどし、スポーツシューズ業界に革命をもたらしたスニーカー界の革命児であった。
プーマを語る上で欠かせないスニーカーである”スエード”は1968年に初めて発売され、ヒップホップシーンで”BEASTIE BOYS"が、スケートボードシーンで”SCOTTO BOUREN”が着用したことで各分野からの支持が高まり、発売した当時はモデル名すらなかったスニーカーだが、いつしかその存在が広まるにつれ”スエード”と呼ばれるようになり、スニーカーシーンを語る上でとても重要な靴へと変わっていった。
また、サッカーシューズでは、サッカーの王様と呼ばれているブラジルのペレや、ヨハンクライフ、マリオ・ケンペス、マラドーナといったサッカーについて詳しく知らない人でも知っているようなレジェンドプレイヤーたちがプーマを愛用し、その名を世界に知らしめていくこととなる。
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1988年には、スポーツブランドであるプーマが、ファッションブランドの”JIL SANDER” (ジルサンダー)とコラボレーションモデルを発表したことで、各分野から大きな関心と注目を浴びた。 今でこそスポーツブランドとファッションブランドのコラボというのは当たり前のようになっているが、その当時としてはありえなかったことで多くの人々に衝撃を与え、このコラボレーション以降様々なスポーツブランドが、デザイナーやファッションブランドとのコラボを発表するようになった。
プーマブランドの始まりは、創業者が”兄弟”ということもありアディダスととても深い関わりがある。
下のリンクはアディダスの始まりについての記事です。
https://sneaker-library.om/adidas/